土砂降り

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京都 香港 父 猫 女 


 今夜、土砂降り。
 雨がザーザー空も溝鼠色に染まって、いきなり湿気に富んでいる音が鳴り響いて、闇の中に雷光が何本の針のように向こうの山々に刺す。
 小学校に上がる前、喘息が頻繁に発作した。小さな胸が上下して、古くて壊れ掛けている蓄音機のように、ゼーゼーヒューヒューとおかしい音を洩らした。息ができないほど苦しんだ夜中に、お父さんに負んぶされた私は、涙がぽろぽろ零れ、濡らされた父の桔梗色のセーターに丸い紫紺の跡が残り、頬を当てて、ひんやりして、植物のちょっと渋い香りが鼻を刺激した。父は織物工場で働き、夕暮れに家に帰った時、制服にいつも鳥の子の色の毛状繊維がたくさん付着した。蒸発出来ない雲のように見え、そっと摘んで温もりが少しだけ残っていた。
 ずっと、父だけに甘えたい。そう思った。
 一人で京都に行く。
 心細くホテルに籠った時がしばしばある。何というか、白いシーツを敷いている窮屈なベッドで柩に沈んだ父を無性に思い出す。
生きていた時より、体が小さくなった父は脆くて幾重にも畳まれた古い新聞紙のように、髪の毛が真っ黒顔も胡粉の下塗り、なにより驚いたのは、父の頬と唇が赤紅に塗られ、滑稽で笑わせてる存在になった。私はただ、ただボカンとして立ち尽くした。泣き声も出さず、あのどんよりした雲に覆われた午後だった。
 別れを訪れる時があるなんて、この日までに考えられなく、いつでも隣にいた父の存在が当たり前すぎだ。
 父からもらった腕時計が眠れないホテルの闇の中にチクタクチクタク、父と一緒に過ごした僅かな時間が心臓の鼓動のように聞こえながら、窓の向こうにまだ消していないひかりを数える。

 

 

 

 

 

 

 

旅に出る

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絵  トカゲ 京都 香港

尋常の家並みにお寺が点在している古き良き雰囲気が気にいるのを理由に、日常の裂け目からすっと脱けて、京都に一人で旅しつづける。この取り返しがつかない時間の流れに、跡形もなく消えてしまう小さな出会いは数え切れないほどだが、ドキドキとさせられる気分こそ、出会いの証拠なのかもしれない。ほんの僅かな一時だと分かっても、人生の空洞に詰め平らにして、歩き続ける力を与える。
 いつも冬に来る
体の芯まで冷え込んで、温かいコーヒーをいくら飲んでも、あの寒さが纏わりついていると京都の冬が苦手な友人はブツブツ言った。
 南国都市に住んでいる私は、やはり盆地特有な寒さはこれ以上耐えられない。雨が降るうえに、寒気がふっと濃くなる。
 それでも、来た。
 かたかた凍り付いた空気は、冬の柔和な陽射しを通して澄んで感じられる。鴨川に沿って、ぶらぶら散歩するのが好き過ぎる。微かな風で揺れる裸になった樹枝は、無数の指先のように寒さを搔き立てる。吹き飛ばされた枯れ葉が遊歩道に墜ちる距離、ユリカモメが佇む清浄な姿、お母さんと手を繋いだり離したりはしゃいでいる子供たち、ぼうっとしている老人、何かに悩んでいる男の背、川面に映っている日常風景が、日が暮れるまでの金茶色に染まっている。
 香港の空気がいつも濁り、綺麗な青空の見える日々が少なくなる。小さい頃、頭上に広げて冴えわたる夜空も高層ビルだらけに呑まれ、ぐちゃぐちゃな黑い塊になった。街路樹も埃が積りに積り、背後から追いかけてくる無表情な顔、車がプープープーな音、繫華街の乱雑のイルミネーション、無秩序な看板、人工的な光が迷わせる人々の心、三々五々行き交っている通行人を捉えている名状しがたい怒り。
 自分が元々根差している所の形相を日に当たらない部屋の奥まった所に乱暴に仕舞い込んでいても、息が詰まる時もやはりある。
 それをとっても悲しんでたまらない夜中に、目の奥底に沈んでいくあの金茶色が、闇に煌々と踊っている。

 

 

 

小さな涙が一つ

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小さな涙が一つ


 サヨナラを言わず、あなたのことなど見向きもしないふり、首を垂れたまま外に出てしまった。
 二月の下旬、寒気がまだ猛烈、日暮れの光の中にブルブル身を震わせた。不意に、冷たいしずくが鼻の先にポンと落ち、小雨が降り始めた。
 急ぎで三十三間堂まで来られ、軒下に雨宿りしながら、どこかの川の底に淀んでいるような、お経をあげる声が身に染みた。砂利道が踏まれた音。記念写真を撮った音。きゃちゃきゃちゃ。突然の風に運ばれた枯れ葉が、一回転二回転、地面を擦り、カタカタ、カタカタ、涙が零れ落ちた。

乳房たくさんの女

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乳房たくさんの女 絵 貪欲 執着 小鳥 さえずり エッセイ

乳房たくさんの女。
最近、よく描いて、その上、はまっているテーマ。
ギリシャ神話のArtemisは生育の神様として、人類に崇拝され、多くの乳房とすることを描写されると友人から聞いた話だった。
それと微妙に、違う思いをこめて描いてほしい。貪欲と執着、これらの人間らしい気持ちをかたちどって、乳房たくさんの女が頭の中に浮かぶ。
小鳥たちのさえずりに惹かれ、急ぎの足を止める。止まって、偶然か運命か、一匹飛んできて、女の掌に愉しく鳴っている。そして、当然でしょう。去っていった。
女を迷わせて、毎日同じ所であの小鳥ちゃんをジッと待っている。待たれる時間に磨り減られていく自分の心も気づかないまま、このとてつもない焦燥感は雑草の原になって、スカートの下からよじ登り、彼女をしっかり絡めている。

 

木洩れ日

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春 天使 木洩れ日 翼 あなた 思う 詩

 ごく普通の朝。
窓を開けて、蝶々一匹、ひらひら飛び込む。
そっと腕を伸ばして、木洩れ日が指先で透明な焰のように跳ね上がって、魔訶不思議なステップを踊っている。
惜しむようにあなたを優しく静かに思う。

 

私を迷わせるあの声

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声を迷わせる 京都に 天一 詩 


   京都の滞在期間に、伊勢丹の天一に入って昼過ぎの昼ご飯を食べたくて、不意にここで響きがいい声に遭遇した。
 しとしと降り注いでいる雨のような声だった。
   チラッと見て、カウンター席でどっしりと構えているサラリーマン風な男が顔真っ赤、独りでお酒を飲んだ。板長との話しも途切れ途切れ、近くのような遠くて聞こえた。眠りを誘ってもおかしくない静かな声だなあと密かに思った。
 携帯の録音ボタンを押したくて仕方がなかったが、止めた。
    香港に帰ってから、雨が粉々、髪を濡らし、路上の雨水の溜まりに私が小さく映っている。