地火名夷

もっと楽しい絵を描きたい、が、ついこんな方向を転換してしまった。未完成だけど。

自分にも驚きましたが、この構図は
なんか易経の地火名夷とぴったりあった。
名夷は伝説の鳥で光明の代表だが、今のところ、傷ついたり強い辛抱を抱いたりして、光が衰えている。もう一つうの意味がある。滅亡である。
確かに、今日、去っていった友たちを思う。
関西出身の画家さん、正直で自分の意志をちゃんと把握、表は日本人らしく感情を抑え礼儀正しいの一方感情の豊かな眼つきは一番気に入る。
易経って万事の流転軌跡が所詮circleで、だから別れの後必ず再会出来る。
いつどこいつどこいつどこ。。。。行き場を失っている叫び。
チョッコたくさん食べるしかない。

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地火名夷 友達

 

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雨 豆電球 鳥の影 京都 香港

曇った日が続く。雨が降ったりやんだりして気が遠くなるって感じ。
白昼なのに灯がつけなければ、本を読めないほどである。天井から吊るしている豆電球が扇風機のぐるぐる回転している風に微かに揺れ、部屋の壁に花葉色の光を塗擦しようとしても、暗がりの部分を追い払って、また逆戻り、ちょっとめまい、ページを捲る手を止めて、 俄然鳥の影が掠めて過ぎった。その落した翳が窓際の本棚で延々とわさわさ舞いている

身震いするほかない

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身震いするほかない  京都 香港

元々説明が大嫌い。何故、最近自分の描いた絵にぐつぐつと述べなければならないか。
把握しているように掴まないこと。時々刻々と変わる自分の心。一夜の無慈悲な風雨である。ゆえに煽られて落ちた未熟な葉っぱが路上の一部を青青として覆っていると同時に、向こうの丘に響き渡るウシガエルのブォーブォーと求愛し続けている鳴き声が生きているのを飾っている音楽らしいリズム、愛おしく聞こえる。蝶々いくつか雨に打たれて、ぼとりぼとり墜ち、地面に貼り付けた羽も剥がれそうとしても、その模様が一層鮮明で鮮やかな光を放っている。今頃ちょっと早いかも、チージー ジーと蝉の喊声が澄み切った空気を震わせて、ここにいるよと仲間を呼び戻しに聞こえる。息絶えるまで号泣し続けるこそ生きている証である。ふっと目の隅に白鳥がまっさらな一頁のように、新録の中を通過してゆく。

死に生を孕んでいる。
現れ、没し去っていって、そして、まだ、戻る。物事の進む筋がよくよく解る。解るけど身を絡め取ってこの生々流転の流れに吸い込まれる自分が明らかに何もかも把握できず、ただ小さく身震いするほかない。

 

泥まみれの感嘆符

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死 生 立夏 香港 京都

もう立夏なのにまだまだ肌寒いが、無性に泳ぎたく、朝早々とプールへ足を運んでいる途中、通りを隔てる向かいの小さな公園にちょっと寄り道した。
 ひっそりと暗い異空間を思わせるこの普通の普通の公園が、小鳥のさえずりに包まれ、日常の喧騒を一時遮断してしまった。トンボがいくつか菩提樹の蔭に飛び交い、弱い光を放つように、錫色の空中で歪んでいる軌跡をやんわり描いた。
 花壇に目をやった。
 トンボの死骸が一つあった。
 泥まみれの感嘆符みたいなあと思いながら、手のひらに載せた。この硬くて鈍い質感は命がもう去っていくのを訴えた。長翼が一對、ポロポロ剥がれ、水面を歩く針のような足も敏捷を失い、軽いよう重くて得体の知れない古い石に変わった。頭の部分だけ、臙脂色の光がちらちらしていた。
 最近、死のことをよく考える。
 連日の雨天のせいか。年のせいか。怖いより人間の無力感を悲しんでいる。
プールの底に潜って、自分を聞けるように、このひと時ここにいるのを確認したかった。

 

 

恋文

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恋文 京都 香港  ウサギ

 今までなかった柔らかい気持ちでこの絵を描いた。
 2012年京都で個展を開いた後、もちろん絵を描きつづけたが、描ければ描くほど、迷っていたばっかりだった。自分にガッカリしたり、他人との関係を敢えて遮断したりして、眼下の生活にも溝鼠の混沌をかかった状態を兼ねて、よれよれの画用紙に変わった自分が、もどかしく寂しいことであった。描いても捨てたという循環が、果てしなく纏わりついた。
 2019年2月、きつい寒さの夜中に京都に着いた。
 日中、人込みに紛れ込んだ。この人間の匂いが礫塊のように身体の奧で上下左右に転じ、ざらざら心を痛めるほど擦った。元々人間は苦手だ。
 人を好きになるって久しぶり。
 周りの空気が薄くなるぐらい、好きになる。
 しかし、名前さえ知らない人を好きになる何て、頭がおかしいかと自分を問い詰めたくなる。不惑を越え、ちゃんと大人を演じ、そして、あの人の目を見た瞬間、大人の固い殻は嘘のように裂け目が入って、そこから何かが蔓延って、信じられない速さでぼさぼさ赤紅の茂みになって全てを覆い隠してしまう。
 現れ、そして去る。
 往来の人々。
 忘れようとはしない意志は尖った葉っぱだ。
 遥かにあの人を思って、どうしようもなく、自分で自分が切なくなると同時に、この時間だけが、自分に柔らかくさせ、絵も、すらすらと描ける。
 正真正銘の愚か者を痛感しながら、透き通る新鮮な空気が胸を流れている。
 勝手にあの人に名前を付ける。
 2222。鈍い音を立てるそう。
 2019年2月22日2時。